天空の城<備中高松城>と方谷

岡山県高梁市の標高430mに建つ"天空の城<備中高松城>
藩主:板倉 勝静(かつきよ)は、江戸幕府の老中筆頭でした。ところが、5万石と言われていた国の実収入は1万9千石しか無く年収は、34,800両(米:22,000両)対して支出は75,800両で、借金は10万両(現:200億~600億)もあったようです。

そこで "勝静"は、陽明学者 山田 方谷 を召し抱えたのでした。

彼が行ったことは、七つの政策 でした。
1.負債整理
2.藩札刷新:大量に発行し過ぎた藩札(藩内のみで通用するお金)
のため、にせ藩札まで流通しました。
そこで彼は、高梁川の河原ですべての藩札を焼却
し、新たに新札を再発行し直したのです。
3.産業振興:多量の蹉跌を利用して、
鍬・釘・釜・鍋など を作り江戸で販売。
4.上下節約:藩主から農民まで全ての住人に節約を奨励
5.民生刷新
6.教育改革:廃校になっていた『閑谷学校』も再興
7.軍制改革

また、大政奉還の建白書の原案を作成したとも言われています。
山陽と山陰を結ぶ幹線が必要と説いたのも彼で、現在の伯備線は、ほぼそのルートで施設されたようです。そのことから伯備線には、方谷駅(人名の駅名は使用できなかったのですが)あるのです。また、"大久保 彦三郎"も中洲に学び、尽誠学園を創設したのです。瀬戸大橋の必要性を説いた人でもあります。

そして、彼の一番弟子は 三島 中洲(ちゅうしゅう)(漢学者)でした。後に江戸に出て漢学塾二松学舎(現:二松学舎大学)を創立(M10年)したのです。そこで学んだのは、"夏目漱石・犬養毅・加納治五郎・平塚雷鳥"などで、最高顧問には、"吉田茂・渋沢栄一<中洲の弟子で後の<第一国立銀行頭取>が就任していたのです。大正天皇の家庭教師も彼でした。

これが、天空の城<備中高松城>とその家臣の歴史の一ページです。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 23

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた
面白い 面白い 面白い 面白い
ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック